高陽の名所

ユネスコ世界文化遺産 西五陵
ユネスコ世界文化遺産 西五陵
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ソオルン(西五陵)とは、朝鮮王朝の五つの陵であるキョンルン(敬陵、徳宗王と昭恵王后の陵)、チャンルン(昌陵、睿宗王と継妃である安順王后の陵)、イクルン(翼陵、粛宗王の元妃である仁敬王后の陵)、ミョンルン(明陵、粛宗王と仁顕王后、仁元王后の陵)、ホンルン(弘陵、貞聖王后の陵)がここに集まっていることからそう呼ばれるようになりました。ソオルン地域が王室の墓域になったのは世祖王3年(1457)に王世子であった徳宗が死亡し、風水地理説に基づいてキョンルン(敬陵)を造ったときからです。ソオルンにはこの五つの陵のみならず、朝鮮王朝最初の園である明宗王の長男、順懐世子の墓「スンチャンウォン(順懐園)」と粛宗王時代に多数の歴史的な逸話を残した禧嬪チャン氏の墓である「テビンミョ(大嬪墓)」があります。ソウルンはドングルン(東九陵)の次に大きい面積を誇る朝鮮王室の家族墓です。高陽市庁からソウル・ウンピョン市ガルヒョン洞につながる55番地方道路沿いに位置しています。
ユネスコ世界文化遺産 西三陵
ユネスコ世界文化遺産 西三陵
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ソサムルン(西三陵)とは、高陽市ウォンダン洞に所在するヒョルン(孝陵)、ヒルン(禧陵)、イエルン(睿陵)を合わせて呼ぶ名称です。総面積は約7万坪。中宗王の継妃である章敬王后ユン氏のヒルン場所として選ばれ、陵地として使われるようになりました。本来は130余万坪に至る広大な敷地ですが、今やいくつもの場所に分割され、ここには約7万坪が残っています。なお、その半分は非公開地域です。ここには上記3基の陵以外に胎室、公主・翁主の墓、ソキョンウォン(昭慶園)、ソチャンウォン(孝昌園)があります。
利用時間:3~10月 6:00~18:30、11~12月 6:30~17:30(月曜日定休日)
プカンサンソン(北漢山城)
プカンサンソン(北漢山城)
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北漢山城は高陽市トギャン区プカン洞とソウル市カンプク区、チョンロ区、ウンピョン区界隈のプカン山(北漢山)山頂陵線に沿って位置する包谷式の石築山城です。百済の蓋婁王5年(132)にプカン山城という名称で築造したという記録があり、以後高句麗の南進を防ぎ、首都を守る重要な要塞としてプカン山城の名称が登場しますが、三国時代のプカン山城が現在のプカン山城と同じものなのかは定かではありません。高麗時代の高宗王19年(1232)モンゴル軍の2次侵入のときはここで激戦があり、契丹が進入したときは太祖王の宮をここに移したことや朝鮮の粛宗王時代には大々的な修築と増築が行われました。城壁は内托公法と内外侠築で頑丈に積み上げ、山の峰と峰をつなげるなど自然地形を最大限に活用している山城です。記録では14箇所の城門があり、そのうち5箇所に門婁が建てられ、3箇所の将台址があったと書いてあります。さらに26箇所の貯水池と99箇所の井戸があったと伝わっていますが、今や確認できません。
フンクサ(興国寺)
フンクサ(興国寺)
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新羅661年に当代最高の高僧であったウォンヒョ(元暁)大師が北漢山修業中、薬師仏に出会ったところにフンソンアム(興聖庵)というお寺を建てたのが興国寺の初めと言われています。その後、英祖王がこの寺を生みの母である淑嬪チェ氏の願刹(亡者の冥福を祈るために建てる寺)と選んだことから大きく発展したという記録があります。境内には「興国寺極楽九品図」「掛仏」「木造阿弥陀如来座像」などといった文化材が保存されています。クヌ木など緑豊かな道を辿って興国寺の境内に足を踏み入れれば、北漢山の五つの主峰が一目で見渡せます。
ヘンジュサンソン(幸州山城)
ヘンジュサンソン(幸州山城)
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ヘンンジュ山城は高陽市トギャン区ヘンジュネ洞にあるトギャン山(徳陽山、海抜124.8m)山頂を中心に海抜70~100mにのぼる稜線に沿って築造された包谷式の土築山城で、城まわりは1㎞ほどです。遺跡の南側はハンガン(漢江)に接し、東南側にはチャンルンチョン(昌陵川)が遺跡を回ってハンガンに流入していることで自然堀の役割を果たしています。山城の東南側と南側一帯は傾斜がきつく、さすが自然要塞としての地形と言えます。山城は川内側の突出した峰を選んで山頂を囲んだ小規模の内城と北に展開される小さい谷を囲んだ外城の二重構造をしています。正確な築城年代は定かではないですが、川内側の険しい絶壁を用い、東北西に広がる広い平野を擁する形は三国時代初期の山城形式とマッチします。特にこの山城は宣祖王16年(1593)にあったクォンユル(権慄)将軍の戦跡地であり、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)三大大戦の一つであるヘンジュ大捷で有名です。
一山バンガシ草家
一山バンガシ草家
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約170年前に建てられた朝鮮後期・中部地方の伝統庶民住宅。昔からこの村に栗の木が多かったことにちなんで、バムガシやユルドンという地名がつけられました。アンバン(奥の間)、台所、ゴンノバン(奥の間の向かい部屋)、ホッカン(納屋)が口字型構造で配置され、トグロのような形の屋根と庭に丸いボンダン(封堂、土床の部屋)を造っているのが特徴です。